月別アーカイブ: 2011年4月
ヤマタノオロチ【4】
山頂に降ろされたスサノヲは、谷沿いに島根県側に下ったようです。 どこまで下った所でかは分かりませんが、流れの中に箸を見つけたと記されています。箸が流れてきたことは、上流に人が住んでいることを意味します。 そこで彼は流れを … 続きを読む →
ヤマタノオロチ【3】
その必要性とは? 出雲の歴史を見えなくすることです。 この点に関しては、全体像をお話しした後に説明します。 さて、とりかみ→船通山と名前は変わっても、山はあります。 実際にこの山に登りますと、周りは全て眼下です。遠方にも … 続きを読む →
ヤマタノオロチ【2】
「とりかみ」が「船通山」に変わったのは江戸時代だそうです。 その理由は、『スサノヲが、息子のイソタケルと朝鮮半島から船でやってきてこの山に着いた』という記述が根拠になっているようです。 出典として風土記抄・雲陽軍実記など … 続きを読む →
ヤマタノオロチ【1】
その場所が鳥上・鳥髪(とりかみ)の峰です。 (船通山登山口) これは今は船通山(せんつうざん)という名前になっていますが、山頂が鳥取県と島根県の県境になっています。ですから鳥取県(日野郡日南町上萩山)と島根県(仁多郡奥出 … 続きを読む →
アマテラスとスサノヲ【9】
世界に光と平穏が戻ったところで、神様達は会議を開きます。 古事記は、高天原ではなにごとも合議によって進めたと強調していますが、殊更に合議のイメージを与えようとするところに、なにかしらうさん臭さを感じるのは私だけでしょうか … 続きを読む →
アマテラスとスサノヲ【8】
それでもと思い、高千穂の事情に詳しい人を捜しました。しかし簡単には見つかりません。 その日は高千穂に泊まることにしていましたので、公共温泉につかり宿でマッサージを頼みました。マッサージさんは、お婆さんでした。 揉んでもら … 続きを読む →
アマテラスとスサノヲ【7】
さて、この洞窟・天の石屋戸(あめのいわやど)は、どこにあるのでしょうか? なにしろ高天原でのお話ですから、天上界のはずですよね。ところがあちこちに「ここだ」というお話があります。 中でも最も有名なのが、宮崎県北部の高千穂 … 続きを読む →
アマテラスとスサノヲ【6】
「貴女にも勝る貴い神様がいらっしゃいますので、はしゃいでいるのです」 アメノウズメが応じている時に、隠れていた神様が鏡を差し出します。 アマテラスがよく見ようと身を乗り出したところを、もうひとりの神様が手を取って引っ張り … 続きを読む →