月別アーカイブ: 2012年7月
今こそ古事記を読もう【14】
後継者と目していた息子を亡くした持統天皇は、落胆したはずです。しかし彼女は、悲嘆で泣き暮らすようなナイーブな女性ではありません。 草壁皇子の息子、つまり彼女直系の孫である軽(かるの)皇子を42代文武(もんむ)天皇とします … 続きを読む →
今こそ古事記を読もう【13】
【10】でも述べましたが、天武には二人の息子がいました。一人は正妻との間の子「草壁皇子」、もう一人は正妻の姉との間の子「大津皇子」です。 諸誌によれば「大津皇子」の方が後継者に相応しかったようで、天武もその気だったとして … 続きを読む →
今こそ古事記を読もう【12】
『壬申の乱』を極端に簡単に言ってしまえば、「親百済」の天智系と「国粋派」の天武系の戦いです。 天智は即位後、後継は弟の天武を考えていたようです。だからこそ二人の娘を天武に嫁がせたと考えられますが、いつしか息子の大友皇子を … 続きを読む →