さて、手間(てま)で生き返った大国主命、実はこの時の彼の名前は、大国主命ではありません。この名前は、結婚してから須佐之男命が付けたものです。独身の時の名前は、大穴牟遅(おほなむぢ)といいます。
元気になった大穴牟遅(おほなむぢ)ですが、またもや殺されるのです。その殺し方がすごい。まず大木を切り倒し、その木にくさびを打ち込んで割れ目を作ります。その割れ目に大穴牟遅(おほなむぢ)を入らせておいて、くさびを引き抜くのです。
結果がどうなるか、想像してみてください・・・。
大穴牟遅(おほなむぢ)はぺしゃんこになったはずです。
頭は出ていたとしても、あばら骨は砕けて内蔵が飛び出したはずです。これはどう考えても“死ぬ”でしょう。
古事記には、この殺害現場がどこであるかの説明はありませんが・・・、ただ、「親が泣きながら捜して見つけ、助け出した」と書いてあるだけです。
手間(てま)ではどのようにして生き返らせたのかの説明がありましたが、ここでは何も説明はなく、「お前はここにいたら滅ぼされてしまう」と言って、大急ぎで、木国(きのくに)の大屋毘古(おほやびこ)の所へ、逃げさせます。
この大屋毘古(おほやびこ)というのは家屋の神様で、須佐之男命の子供であると言われる、五十猛(いたける)命と同じ神だそうです。
ところで、第二の殺害現場ですが、鳥取県日南町上石見(かみいわみ)の大石見(おおいわみ)神社に、手間の赤猪岩神社とよく似たお話が伝えられているのです。「大穴牟遅(おほなむぢ)が八上(やがみ)姫命を連れて逃げてきて隠れ棲んだ」のだそうです。
この大石見(おおいわみ)神社の辺りが第二の殺害現場であったのか?
それとも・・・、そこが大屋毘古(おほやびこ)の棲む木国(きのくに)だったのか?
古事記の解説書を読みますと、木国(きのくに)は紀伊国(きいのくに)、つまり和歌山県と解釈しています。解説書のように解釈すると、内臓破裂で瀕死の状態から助かったばかりの若者が、鳥取県西部の岡山県との県境から何百キロも離れた和歌山県まで行ったことになります。
これはちょっと無理でしょう。
いや、神様だからあるいは神話だからできるということなのでしょうか?
この部分は『 謎 』なのですが、これについてはまた後で話します。
これまでお話ししましたように、私が住む米子のすぐ近くに古事記の舞台がある。行ってみないわけにはいきません。
こうして、古事記おじさんの謎解きの旅が始まったのです。
※2010/12/18~12/22「古事記おじさんの謎解き旅ブログ」に掲載したものをまとめました。
【特集】古事記おじさん誕生秘話
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■特集:古事記おじさん誕生秘話【オオクニヌシ編】其の一
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■特集:古事記おじさん誕生秘話【オオクニヌシ編】其の二
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■特集:古事記おじさん誕生秘話【スサノヲ編】
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