「ヤマタノオロチ」タグアーカイブ
ヤマタノオロチ【9】
古事記は、スサノヲが「垣を作り、その垣に八つの門を作り、門ごとに八つの桟敷を作り、桟敷ごとに酒おけを置き、桶ごとに酒を満たして待て」と命じたと記しています。 島根県雲南市木次町西日登の八口神社の別名は壷神様なのですが、こ … 続きを読む →
ヤマタノオロチ【8】
以上を考えますと、スサノヲが作らせたのは米で作る日本酒ではなく、果実酒であったということになります。 ではどのような果実だったのか? 出雲風土記には、植物の紹介の中にヤマブドウや桑の実が見えます。また日南町から奥出雲地方 … 続きを読む →
ヤマタノオロチ【7】
酒造りですが、古事記には「八塩折(やしおおり)の酒を醸(か)み」と書かれています。 これは何度も繰り返し醸造した濃い酒と解釈されており、恐らくほとんどの方が、この酒は日本酒でどぶろくのようなものと理解していると思います。 … 続きを読む →
ヤマタノオロチ【6】
さて、これを聞いたスサノヲは、いきなり、「その娘を俺の妻にくれないか」と切り出します。 単刀直入で男らしいですね。 しかし言われた方は驚いて、「いったい貴方は誰ですか?」と聞き返します。親として当然のことです。 「俺はア … 続きを読む →
ヤマタノオロチ【5】
ここで「高志」の「大蛇」と書かれていることから、「大蛇」は「高志」から来たとの解釈がされています。 具体的には「高志=越」と解釈し、北陸地方が比定されています。別の解釈では「高志=古志(現出雲市の地名)」としています。 … 続きを読む →
ヤマタノオロチ【4】
山頂に降ろされたスサノヲは、谷沿いに島根県側に下ったようです。 どこまで下った所でかは分かりませんが、流れの中に箸を見つけたと記されています。箸が流れてきたことは、上流に人が住んでいることを意味します。 そこで彼は流れを … 続きを読む →
ヤマタノオロチ【3】
その必要性とは? 出雲の歴史を見えなくすることです。 この点に関しては、全体像をお話しした後に説明します。 さて、とりかみ→船通山と名前は変わっても、山はあります。 実際にこの山に登りますと、周りは全て眼下です。遠方にも … 続きを読む →
ヤマタノオロチ【2】
「とりかみ」が「船通山」に変わったのは江戸時代だそうです。 その理由は、『スサノヲが、息子のイソタケルと朝鮮半島から船でやってきてこの山に着いた』という記述が根拠になっているようです。 出典として風土記抄・雲陽軍実記など … 続きを読む →
ヤマタノオロチ【1】
その場所が鳥上・鳥髪(とりかみ)の峰です。 (船通山登山口) これは今は船通山(せんつうざん)という名前になっていますが、山頂が鳥取県と島根県の県境になっています。ですから鳥取県(日野郡日南町上萩山)と島根県(仁多郡奥出 … 続きを読む →
黄泉比良坂(よもつひらさか)【3】
やっとの思いで、現世と黄泉国の境の黄泉比良坂のふもとにたどり着いたとき、そこに生っていた桃の実を3個取ると、投げつけます。 すると黄泉国の軍勢は、全員が退散してしまいます。この黄泉比良坂が、島根県八束郡東出雲町にあります … 続きを読む →