― 天武天皇はなぜ歴史書の編纂を発案したのか? ― ④ 国際紛争で大敗した中大兄皇子は、唐が攻め寄せるのではないかとビビりまくります。敗戦責任を口実にクーデターが生じる可能性もありますから、都を海から遠い大津に遷し(66 … 続きを読む →
大海人皇子は天武天皇となり、親『新羅』姿勢を明確にします。 天武の次には息子ではなく皇后が、持統天皇(在位690年~697年)として即位します。 彼女も天武天皇の外交方針を引き継ぎ、親『新羅』政策をとりました。 しかしそ … 続きを読む →
天智天皇の次に権威を持つのは、本来なら息子です。 しかし年齢的にもそれまでの経緯からも、弟の大海人皇子が皇太子となっていました。 反『百済派』の面々は、彼に接近したはずです。 天智天皇を取り巻く『百済』人達が、これを見過 … 続きを読む →