「白村江の戦い」タグアーカイブ
古事記おじさんの『21世紀の視点で古事記を読む』【6】
― 天武天皇はなぜ歴史書の編纂を発案したのか? ― ③ この頃大陸では唐、朝鮮半島は百済・高句麗・新羅の時代になっていたのですが、半島三国間では何かと争いが絶えなかったようです。 三国はそれぞれに唐や日本を味方につけよう … 続きを読む →
「古事記」は『独立宣言』だった!?【7】
『百済』が滅びた時、その生き残りが長年親しい関係にあった日本に亡命していました。百済王朝の官僚達の中には、天智政権の官僚として仕える者もいました。 実は『百済』は、300年代の後半つまり中国を『隋』が支配している頃に「日 … 続きを読む →
「古事記」は『独立宣言』だった!?【6】
日本の場合は大陸部とは様子が違います。 大陸から見れば東の海の向こうの島ですから、海あるいは島の海岸線が国境となります。 『唐』や『新羅』がよほど必要性を感じなければ、海を越えて まで攻めては来ません。 それでも白村江で … 続きを読む →
「古事記」は『独立宣言』だった!?【5】
話を元に戻しましょう。 大国『唐』から見れば取るに足らない僻地でも、そこに住む弱小途上国間では民族の存亡をかけた策略と争いが展開されていました。 660年の『百済』滅亡後、日本は『百済』の残党から求められ、「日本・百済残 … 続きを読む →