後継者と目していた息子を亡くした持統天皇は、落胆したはずです。しかし彼女は、悲嘆で泣き暮らすようなナイーブな女性ではありません。 草壁皇子の息子、つまり彼女直系の孫である軽(かるの)皇子を42代文武(もんむ)天皇とします … 続きを読む →
【10】でも述べましたが、天武には二人の息子がいました。一人は正妻との間の子「草壁皇子」、もう一人は正妻の姉との間の子「大津皇子」です。 諸誌によれば「大津皇子」の方が後継者に相応しかったようで、天武もその気だったとして … 続きを読む →