はじめまして、古事記おじさんです。
古事記おじさん???
いきなり、名乗られてもサッパリ意味がわからないですよね!?
実は私・・・、学者でもなく、宗教関係者でもなく、ただのおじさんです。
では、いったいなぜ、ただのおじさんだった私が“古事記おじさん”と呼ばれるようになったのでしょう・・・
私は大山(だいせん)裾野の米子に住んでおり、子供の頃から大山を見て育ちました。
5年前、とあるキッカケで大山を改めて見直すことになり、大神山神社(おおがみやまじんじゃ)を訪ねました。そこで、折良く社務所にいた禰宜(ねぎ)さんに、「ここはどういう神社なのですか?」と尋ねました。すると禰宜さんは、「日本始まりの場所です」と平然とすました顔で、答えたのです。
「日本始まりの場所!?」私は思わず問い返しました。
禰宜さんは、何を驚いているのだといった眼で「そうです」とだけ答えると、相変わらずすまし顔です。
私は、長年米子に住んでいて、『大山が日本始まりの場所』などと聞いたのは、初めてでした。そこで「何か証拠でもあるんですか?」と尋ねました。
すまし顔の禰宜さんは、「詳しいことは、下にいる宮司に聞いて下さい」と、私のような無知な者の相手になりたくない様子です。
私は、どうしても真実を知りたくなり、宮司さんを訪ねてみました。すると、宮司さんは「これを見ればすべて分かる」と・・・、『大神山神社由緒記』を手渡しました。
その20頁に以下の記述があります▼
『祭神の大己貴命(おおなむぢのみこと)は、大山を根拠地として国土経営の計画をたてられました。
そして、大山津見命(おおやまつみのみこと)や少名毘古那命(すくなびこなのみこと)もこの大山に集い、この山の頂上に立って雲の上から草昧(そうまい)の国を見下ろし、国見(くにみ)をされたことを古書は伝えています』
神祇志料(じんぎしりょう)(巻17)佐比売山神社(さひめやまじんじゃ)の條に「云々、昔大己貴命、少名毘古那命、須勢理姫命(すせりひめのみこと)、伯耆国大神山に御座、出雲国由来郷に来座して云々」と。
なんだか、難しいようなことが書いてありますが・・・
要するに、大己貴命(=大国主命)達により、日本で最初の国見が大山の頂上で行われた・・・、今風に言えば『日本最初の閣議』が大山(だいせん)の頂で行われたということです。
この故事により、大山は大国主命の御神体となっています。
つまり、大山という山は、大国主命なのだそうです。
なるほど・・・、一応、話の筋は分かりましたが、『大国主命』が分かったようで分かりません。
そこで私は、『大国主命』を調べようと、『古事記』『日本書紀』に向かい、驚くべき発見をしてしまうのです・・・
つづく。。
いろいろ読みました。ありがとう。巡礼したくても交通機関がNGで街にツアーもなく、個人で回るにはお金がかかり、本当にこまってます。マイナスイオンがあり、幸せに感じてますが、神社霊場巡り20寺院をまわりたいが、本当に苦労してます。
人も通らないし、事件になったらやだし、良い処なのにね、観光客を呼ばない?残念です。
コメントありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。