山を下り、霞(かすみ)神社に報告に行きました。
「なに!草原はなかった?」
「石碑も見つからなかった?」
「下界も見えなかったのか・・・」
「そうか・・・あれから50年以上になるからな・・・」
30cm程度の苗木でも、50年もすれば数mにはなります。宮司さんが見た景色と我々が目にした景色は、全く別世界だったのでしょうね。
昔は、地元の人達が山の手入れをしていたそうです。山頂周辺の木は大きくならないよう剪定し、山頂の草原を保つために、木の芽を抜き取っていたのでしょう。戦後、若者は町に出てしまい、山の管理をする人が減ったそうです。残った人達も高齢化し、年一回の登山道整備が精一杯のようです。
あの山が『イザナミの御陵(みささぎ)』と信じる人達が亡くなってしまえば、伝承は消え、場所も分からなくなります。現に『火の神』殺害現場かもしれない『八石谷(はちこくだに)』へは行くことができません。
折を見て情報探しに出かけるつもりですが、情報源が高齢の方々ですから、時間との戦いです。春になり、雪が消えたら出かけるつもりです。
・・・つづく