やっとの思いで、現世と黄泉国の境の黄泉比良坂のふもとにたどり着いたとき、そこに生っていた桃の実を3個取ると、投げつけます。
すると黄泉国の軍勢は、全員が退散してしまいます。この黄泉比良坂が、島根県八束郡東出雲町にあります。
ここで面白いのは、三種の山の恵みがイザナギを助けている点です。
この辺りには竹藪がたくさんあり、筍の産地です。
ヤマブドウに関してはオロチ退治のところで説明しますが、実は重要な果物なのです。
そして桃ですが、これは今の我々が想像するおいしそうな桃ではなく、酸っぱくておいしくないスモモだったといわれています。
黄泉国の住民は「酸」に弱いということなのでしょうか。
十拳(とつか)の剣ですが、これは持つ部分が拳(こぶし)10個の長さということだそうです。日本人の拳の幅は10cm程度でしょうから、10個ということは1mになります。
持つ部分が1mもの剣なら、刃の部分の長さはどの程度だったのでしょうね。そんな剣を、腰に帯びることはできないと思います。おそらく、持つ部分が普通の剣より長い、立派な剣ということなのでしょう。
・・・つづく
実際の場所とされる所があるんですね。
十握の剣の握りの部分が1mもあると、使い方にも依りますが、不便そうですね。
また、次回、楽しみにしています。
ではでは!
>和平 明憲さん
そうなんです。
この地域には現場が残っています。
これからどんどん紹介しますよ。
はじめまして。
大阪在住の者です。
和歌山にも「黄泉の国」と言われる場所があるようですが、まだ行ったことがありません。
根の国、黄泉の国とはどういった場所を指したのでしょうね?
続きを楽しみにしております。
>かもすのりこ@伝説のライターさん
黄泉の国というのはあちこちにあるようですが、私の場合あくまでも古事記の記述に沿って歩いています。
古代に死者の世界を「ヨミ」と発音し、文字が伝わってから「黄泉」の字を当てたのでしょうが、死者の世界を「ヨミ」と発音したのは何故なのでしょうね?
鳥取県米子市から境港市まで湾曲した半島があり、今は弓ヶ浜半島と称しています。
この半島には夜見(ヨミ)という地区があるのですが、出雲風土記には、その一帯は潮の満ち干によって海面から出たり沈んだりしていたと記されています。
これは私の想像ですが、神話の時代、権力者以外の遺体をそこに埋めたのではないでしょうか。といいますのは、その一帯から戦後の相当期間まで、黒石と呼ばれる、縦・横・高さ2~30cm程度の四角い石が掘り出されていました。この石はちょっとした建物の柱の土台石に丁度のサイズでした。建築関係者に聞きましたら「浜を掘ればいくらでも出てきた」そうですが、掘り尽くされて出なくなったそうです。
この石は、出雲風土記にも記されているムカデ島(現大根島)から切り出したものです。
恐らく当時、一般の死者の遺体はそこに運んで埋め、黒石を置いたのではないでしょうか。酸性の強い場所だそうですから、時間が経てば骨ももろくなってバラバラになり、砂と見分けがつかなくなったのではないかと思われます。
内陸部に埋めた遺体は骨が残りますが、その地帯の遺体は消えて無くなった。つまり死者は黄泉の世界へ行ったということだったのではないでしょうか。
やがてその地帯に砂が堆積し、島となった。それが黄泉の島と呼ばれた。その後更に砂が堆積し、広い浜辺ができた。それが黄泉の浜と呼ばれた。そして陸とつながり半島になった。それが黄泉浜半島と呼ばれたが、直接的な黄泉の字を夜見とした。更に後年夜見を弓に変えたのではないかと思っています。
このヨミと称される地域は、現在の東出雲町の海岸沿いから、かつては海の中であった安来市・米子市・境港市一帯です。
…長くなったので次のコメントへ続きます。
…コメントの続きです。
根の国というのは、スサノヲが支配していた根の堅州国から来ていると思われます。
それがどこであったか分からないのですが、ヒントは古事記に記されている黄泉比良坂です。これに関してはブログに書きますので、そちらをお読み下さい。
現世=葦原の中国(なかつくに)は分かるのですが、根の国と黄泉の国の関係がよく分かりません。そこで古事記謎解き旅ガイド21頁に、こんな感じかなという想像図を入れています。また73頁には、根の堅州国のエリアと思われる地図を入れています。
>古事記おじさんさん
詳細な説明をありがとうございます。
なるほど、埋まった骨が消えたことで、「黄泉の国へ行った」……というのは興味深いお話しです。
貴人の魂が鳥となる話も、鳥葬からの連想かと思っていましたし。
これからも記事を楽しみにしています。