もう一つの考えは、意図的な改ざんです。
古事記の編纂は国家事業ですから、国家に都合よく書かれているのは当然です。神話の部分は、国譲りで山陰地方を舞台とする記述を終え、九州を舞台とする記述で終わらせています。
結びが九州地方ということは、九州を強く印象づける思惑があったと考えられます。つまり日本の開祖イザナギが九州と結びついていれば、より効果的なのです。
そこで本来の伝承は「ツクミ」と発音する山陰地方であったものを、竺紫「ツクシ」の文字で表現し、九州地方を想像させるようにした。
当時、文字が読める人はそんなにはいなかったはずです。山陰地方で生まれ育った者で、読める人などほとんどいなかったでしょう。
国から派遣された役人は読めたでしょうが、彼らは編者の意図を理解していますから、改ざんを指摘することはありません。地元には伝承が残っていたでしょうが、占領された側ですから声を大にすることは憚られたはずです。
他の地域の人は、文字により九州を想像します。
長年月の後、山陰地方にも文字が読める人が増えたでしょうが、彼らはインテリであり、公職に就いていたはずです。公務員は上の意図に反することは主張しませんから、地元の伝承ではなく、国が作った書物が正しいとしたはずです。
かくして、「千酌」が「竺紫」に置き換えられたとの見方もできるのです。
…つづく
いきなり、舞台が山陰から九州に移るより、依然から九州と関係があった事にした、という事でしょうか?
実際の史跡と古事記の内容からすると、考えられる事ですね。
ではでは!
>和平 明憲さん
そのように考えることもできるのではないでしょうか。
その証拠と考えられる点は、禊祓は非常に重要な出来事であるにもかかわらず、九州にそれを伝える地が無いことです。
少なくとも、私が九州で捜した範囲ではありませんでした。
ペタ、ありがとうございます。
松江に住んでいて、私の知らない由緒ある神社が、数多くあることを知りました。
その由緒も、かなりの謎なんですね。
どんどん解き明かした下さい。
古の謎解き探偵さん。
>赤鼻のトナカイさん
コメントありがとうございます。
私も、現地を訪れて、地元の方に話をうかがって初めて知ったことがたくさんあります。
謎が謎を呼び、それによってまた新たな神社を知ることもでき興味が尽きません。
こんなにすばらしい神社が山陰にあることを、特に地元の皆様にお知らせしていけたら…と思っております。