ここで「高志」の「大蛇」と書かれていることから、「大蛇」は「高志」から来たとの解釈がされています。
具体的には「高志=越」と解釈し、北陸地方が比定されています。別の解釈では「高志=古志(現出雲市の地名)」としています。
しかし、その「古志」の由来は「越」から来た人が住み着いたことによるとの説があり、結局「越」につながってしまいます。
スサノヲが大蛇の様相を聞きますと、「真っ赤な目をしており、ひとつの胴体に八つの頭と尻尾があります。体にはヒノキやスギの木が生えており、長さは八つの谷、八つの峰まであり、腹一面がいつもただれて血がにじんでいます」との答えです。
この説明通りなら、とんでもない巨体の「大蛇」となりますが、こんな大きな「大蛇」が北陸地方から来たとすれば、その道中に色々なお話しが残っていてもいいはずです。
ところが私の知る限りでは皆無です。
学界では、「大蛇」の体の説明は「出雲地方の自然を表現」しているとの解釈がありますが、それならば「高志の大蛇」との表現は必要ないはずです。
文字通りに「高志」からやってきた「醜い胴体」の「大きく」「恐ろしい」生命体と解釈した方がいいような気がします。
・・・つづく
(≡^∇^≡)届きました!!
ありがとうございました。
休み明けたら入金させていただきます。
さっそく明日 友人たちに見せびらかしに行ってきます。笑
高志と言う地名は確かに新潟や富山の北陸地方にありますが、越中と言い方があるので、当時は越になるんですね。
怪物的な言い方は何かの比喩かと思いますが、それだと、やはり、来る途中で話題になっているでしょうね?
次回が気になります!
ではでは!
>みみちゃんスピリチュアルカウンセラー&ストーンセラピストさん
こちらこそありがとうございました。
古事記謎解き旅ブログの方もまたよろしくお願い致します。
>和平 明憲さん
いつもありがとうございます。
ヤマタノオロチ【6】アップしましたので
ぜひご覧ください。
越から来たとの話は夢があって好きです。大国主命も越に求婚しに行くので出雲と越は舟などで交易したと思います。越のならず者が毎年来ていたのかも知れません。
一方、[志]は、国語辞典で[紀伝体で天分文、地理などを記述した部分]とあり、高志は[高い場所]ではないかとも思います。大蛇を川に見立て、鉄砲水が[高いところ]から[木]や[岩]を巻き込んで[稲田(櫛稲田)]を飲み込む事を、スサノウ命が、[八ヶ所の貯水池と堰を設けて]稲田を守った事を物語にした卓越した作家がいたのだと思います。実際、この後日本初とされる歌が示されおり、物語事態が比喩であるようにも感じます。
しかしながら、24も大蛇が新潟から来たとの物語が好きです。
大蛇につく高志はいわゆる万葉仮名的な使用で漢字の意味からの推測はあまり意味が無いように感じる。
高志国自体は「自立と分散で日本を変えるふるさと知事ネットワーク共同研究プロジェクト報告書【歴史・文化をテーマとした広域観光ネットワーク研究プロジェクト】平成24年」に、九頭竜川が古来「崩れ川」と言われ「高志之八俣遠呂知」と関連すると言及があるように、神代の「高志国」は伯耆国などからさほど離れていない地域とみるべき。
後の越後地域などは神代においては南端が出て来る程度である点、出雲国風土記にヤマタノオロチの言及がない点、伯耆国風土記逸文には国名の由来としてヤマタノオロチ伝承があり、記紀神話ではヤマタノオロチ以外のものに、大和の山間部、近江国の伊吹山に大蛇伝承がある位なので、いわゆる大蛇伝承の由来は山陰入り口から近畿、北陸南部辺りにあったと思われる。
越の海が万葉集において越前周辺を指すから、概ね福井、富山の辺りと考えるのが自然に思える。
コメントありがとうございます。
「高志に拘泥する必要はない」とのご指摘ですが、私は逆に「極めて重要」だと考えています。
出雲国風土記・神門郡(かむどのこほり)に、古志郷(こしのさと)があります。
郷名の由来について、以下のように書かれています。
「イザナミ命の時、日淵(ひぶち)川を以て、池を築造(つく)りたまひき、爾(そ)の時、古志の国人等、到来(きた)りて、堤を為(つく)りて、即(やが)て宿居(やど)れし所なり。故、古志と云ふ」
つまり「古志の部族民が来て、灌漑工事をして住み着いたので古志の地名が付いた」と述べているのです。
他方、古事記伝で本居宣長は「高志の八俣の大蛇」に関して、上の部分を紹介して「高志」を地名としています。
その上で、大国主の沼河比賣求婚場面での「高志國の沼河比賣を婚はむとして」の解説で、「高志」を「越後」としています。
以上により、神武の橿原宮での即位(日本書紀によれば紀元前660年)より6代遡ったアマテラスの時代に、「越後の部族が古代出雲地方に移り住んでいた」と推測できます。
問題は大蛇(おろち)です。
これに関して宣長は「オロチの名の義は『尾オドロチ』で、尾のおどろおどろしきを言うのである。『オドロ』は『驚く』と同言なり。
そもそも此の蛇は、上なき霊剣(あやしきつるぎ)を尾の中に含持たれば、其の威霊にて余所よりは尾は殊に、いかめしくおどろおどろしかりけむ。故れ尾を以て名に負せしなるべし。『チ』は称名(たたへな)なり」と説明しています。
つまり“『オロチ』と称しているが、霊剣を内包していた『尾』に焦点を当てて大袈裟に説明している”訳です。
以上により現実的な解釈をすれば、物理的に蛇の尾から剣が出て来ることなどないのですから、「古志の部族が、製鉄と卓越した剣鍛冶の技術を持っていたことを伝える文章」となるのではないでしょうか。
古志から南方の山中が、古代から製鉄が行われていた奥出雲地方です。
古志と奥出雲の中間が雲南地方ですが、その中心木次町には『オロチ』にまつわる伝承地が多々あります。
それらを総合して考え、現代風に言いますと
「木次町に本社があり、奥出雲の山中に砂鉄採取場及び製鉄工場があった」
「だが超ブラック企業であり、労働者を強制酷使するだけで地元民の反感は極めて強かった」
といったところでしょうか。
ヤマタノオロチが出雲の自然現象を表す時の、高志について。
ことは白山の事を調べていたら、出雲ではないですが、お隣の国は大山からどうやら白山こと越白峰が見えるようですね。
この白山の冠雪時期に来る台風は、日本海側に入りやすい時期でもあるので、これをみて、オロチが河川の氾濫を指すならば、今年も荒れる季節や時期が来ると言う事を指したものでは?と愚考してみた次第です。
コメントありがとうございます。
石川県の白山の事だと思いますが、鳥取県の大山から白山が見えるという話は聞いたことがありません。
白山~大山が見える距離かどうかわかりませんが、日本海の湿気を含んだ空気では無理ではないでしょうか。
オロチが出雲地方の自然現象の比喩説を唱える人は、『古志のオロチ』の部分を無視しています。
この点を聞きましたら「神話だから・・」の返事でした。
これでは話にならないので、それ以上話すことをやめました。
私は『オロチ=能登半島地方から製鉄の適地を求めて移住してきた部族』だと考えています。