古事記は、スサノヲが「垣を作り、その垣に八つの門を作り、門ごとに八つの桟敷を作り、桟敷ごとに酒おけを置き、桶ごとに酒を満たして待て」と命じたと記しています。
島根県雲南市木次町西日登の八口神社の別名は壷神様なのですが、この神社の境内には大蛇が酒を飲むのに使った壷が埋められているそうです。
その壷の大きさは口径約17cm・腹径約20cm・高さ約15cmと書かれています。今で言えば大ジョッキ程度でしょうか。巨大な大蛇が飲むにしては、余りにも小さいと思いませんか。
でも横綱白鳳が飲むなら丁度いい大きさですよね。
・・・つづく
壷 小さすぎですね。
ヤマタノオロチって想像してるのとは
違うのかしら…
>ねえさんさん
私は、オロチとは、大蛇でも斐伊川の自然でもない「人間」だったと考えています。
そして神と伝えられるスサノヲも、実在の人間だったと考えています。
もちろんアマテラス・大国主・スセリ姫・ヤガミ姫・シタテル姫と呼ばれる神達も生身
の人間だったと考えています。
神=人間 私もそう思います。
ヤマタノオロチもですか。そう考える方が現実的ですね。
ということは…8人の悪人??
>ねえさんさん
必ずしも悪人とは言えません。
スサノヲの父親より前に渡来した部族の子孫で、8人の頭(かしら)に率いられていたのではないかと考えています。
彼らの本拠地は今の木次町一帯で、鉄の生産と流通を牛耳っており、狩猟採取(一部は農耕)で生きる周辺部族の上に君臨していたのではないでしょうか。
ヤマタノオロチの体は山8個、目はホオズキのようの記述ですが、船通山付近の山でたたら製鉄が盛んであれば、夜遠目から見れば、あちこちの山でたたらの赤い光が見えた風景がまさに!と思ったのですが、いかがでしょう?
確か鉄1トン作る火力に一山分の木材が必要と聞いたことがあるので、船通山付近の山は無残に伐採され、砂鉄を取るために崩された山肌を、オロチの腹部が赤くただれていた様な表現にしっくりくると思いました。
コメントありがとうございます。
休んでいたために、19年1月に頂いたコメントに気付きませんでした。
1年以上経っておりますが、賞味期限が切れるようなご質問ではありませんので、私なりの見方を書きます。
確かに暗い中に見える「たたらの火」は、その様に感じられるでしょうね。
当時は「ふいご」がありませんので、野だたらです。ですから1回の量はせいぜい数十キロでしょう。
当然、燃料もそんなに大量ではなかったと思われますから、現在の感覚での大量伐採ではなかったはずです。
現場の環境をご存知かどうかわかりませんが、中国山地は樹木の再生能力が高く、2千年前の人口と道具で「はげ山」になるほどの乱開発は不可能です。おそらく10キロ四方の伐採に数年かかったと思います。
その様な場所が数カ所あれば、最後の場所を終える頃には「最初の伐採地」には燃料に丁度いい木が茂っていたはずです。
室町時代になって「ふいごだたら」を使用するようになると生産性が上がりますから伐採量も速度も速くなったようです。奥出雲の「たたら」家系の当主から聞いたのですが、樹木が枯渇しないように伐採と同時に育成作業もしていたそうです。
砂鉄は「かんな流し」で採取しますから、川沿いの山肌を掘削します。鉄を含んだ土(赤土)ですから、掘削された山肌は遠くから見れば赤く見えたでしょうね。これを「赤く爛れた」と表現することは可能かもしれません。オロチ族が製鉄していた地域には、そのような場所が散見できたと思われますが、重機のない手作業ですので、記述されている程に『壮大なものではなかった』のではないでしょうか。