古事記のスサノヲに関する記述は、細かいところは省いていますが、おおむね前回までにご紹介した内容で終わりです。
一般的に、スサノヲは荒々しい神とか手のつけられない乱暴者とされていますが、古事記を読む限りでは「たいしたことはないじゃないか」との印象です。
ここで確認のため、スサノヲの生い立ちを振り返ってみます。
まず、生まれてから「髭が胸に届くほど伸びるまで」泣きっぱなしで、父親から命じられた仕事をしなかった。そのために世の中に色々と不都合が生じたとされています。
これは「青年期まで父親の言うことを聞かない息子」ということです。およそ世の中に、父親の言うことを素直に聞く息子なんているはずがありません。お前はこれをしろといわれて、ひたすらそれに励む男の子がいれば「感心な息子だ」というより「この子大丈夫かな?」とさえ思ってしまいます。
スサノヲは、そのようになった原因を父親から問いつめられると「死んだ母親に会いたい」からだと答えます。
これは母を知らない子供に共通する願望で、それを「そのような子供はダメだ」と否定することに無理があります。
にもかかわらず、父親は息子を勘当します。これは、息子ではなく父親であるイザナギに「寛容な心がない」と感じさせます。
日本人の祖とされるイザナギですが、情緒不安定で短気な「オヤジ」を感じさせます。
・・・つづく
6月1日 出雲キルト美術館スタッフの皆さんに古事記の紹介をしてきました。
当美術館の主催者であるキルト作家の八幡垣睦子先生は、古事記をテーマとした作品の構想をお持ちだそうです。
スサノヲが暴れん坊だったので、ヤマタノオロチを退治できたのでしょうし、イザナギは息子によって世の中に不都合が生じたので情緒不安定になったのでしょう。
見方によって、良くもなるし悪くもなることだと思います。
今の時代にも当てはまる事ですね。
ではでは!
>和平 明憲さん
そうなんです。神様の世界の話ということになっていますが、実に人間っぽいのです。
スサノオ大好きです。それで春になったら島根県の安来にある須賀の宮だった須賀神社から出発して鳥髪の峯(現;船通山)のある奥出雲町までゆき、斐川を下りながら、オロチ退治のあった雲南市へ行ってみたいと思います。
>?きのちゃん?さん
安来にも須賀神社があるのですか?
雲南市大東町須賀の「須我神社」のことではありませんか。
安来地区を出発地とするなら、スサノヲの母イザナミのお墓と伝えられる比婆山(安来市伯太町横屋)から奥出雲町へ向かい、時間があれば船通山に登ってみてください。
谷川沿いに1時間半程度で山頂です。
奥出雲町には、イナタ姫を祀るイナタ姫神社があります。しかしこれは後年建てられたもので、意味がありません。
それより奥出雲町には鳥上地区があります。その辺りにスサノヲが流れる箸を見つけた川があるようです。またアシナヅチ親子と出会った場所と伝えられる地もあったようです。現地出身者から「昔、年寄りからそのような話を聞いたことがある」との情報が寄せられています。そこでお年寄りの聞き取り調査をお願いしているのですが、まだ分かりません。
雲南市のボランティアガイドさんは「箸が流れてきた川は斐伊川である」と説明しています。その根拠は「出雲大社の古文書に記されている」だそうです。古文書がいつ誰によって書かれたものか知りませんが、私は同じ斐伊川でももっと上流の奥出雲地区と考える方が妥当だと思います。ですから鳥上地区に伝わる話に興味を抱いています。
雲南市は、オロチの本拠地だったようですが、雲南市木次町寺領の御室山にある布須神社にも立ち寄ってみてください。オロチに飲ませた酒を造った場所との伝承がある地です。また木次町西日登の八口神社には、オロチが酒を飲んだ壷が埋められていると伝わる小さな囲いがあります。