オオクニヌシ「因幡の白兎」【2】

物語は、「大国主には沢山の兄弟がいたが、全員この国を大国主に譲った。さてその訳は」という形で始まります。

私はここで言う兄弟を、現代社会の血を分けた兄弟ではなく、地域あるいは部族の若者と解釈しています。

今は町内の子供達が集まって遊ぶことはなくなりましたが、昭和30年代までは日本のどこででも、町中の子供が集まって遊んでいました。子供達というのは小学1年生から6年生まで程度でしたが、その中に年長者が全体を取り仕切るというルールがありました。

子供達は、遊びを通じて「社会のルール」を学んだのです。

ですからこの時代には、今のような「いじめ」はありませんでした。「いじめ」「喧嘩」が生じた時には、年長者が調整をしたからです。

各町内単位で子供の集団がありましたから、遊び場を巡る町同士の喧嘩もありました。その場合同じ町内の子供は身内ですから、互いに助け合います。

このような環境により、町内の年長者は年少者の兄貴でした。古代は隣の集落との距離が大きかったはずですから、他の集落との関係では集落内の密接度は極めて強かったと考えられます。

つまり年長者はみんな兄貴で、年少者はみんな弟です。
大国主に沢山兄弟がいたというのは、集落あるいは部族の若者達が沢山いたと解釈すべきでしょう。

…つづく

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