前回「500年代後半から600年代前半の海外環境を見る必要がある」と述べました。
その時期を中国に当てはめれば、589年に中国を統一した 『隋』と、618年に取って代わった『唐』の時代です。ですから『随』『唐』が、周辺に影響を及ぼしていたのです。最も影響を受けていたのが、陸続きの朝鮮半島です。
ではその頃の朝鮮半島はどのような状態だったのでしょう?
朝鮮半島は、中国と国境を接する北部に
『高句麗』(紀元前37~紀元668)、
半島の南東部に『新羅』(紀元前57?~935)、
南西部に『百済』(紀元前18?~660)
が位置する三国の時代でした。
それぞれの存続年をご覧になればお分かりのように、『高句麗』『百済』は600年代の似たような時期に滅亡しています。他方『新羅』は935年まで存続しています。
『高句麗』『百済』は唐に滅ぼされたのです。そのとき『新羅』は、唐と同盟を結んで唐軍とともに戦いました。
その結果、『高句麗』『百済』は崩壊し、両国の領土は『唐』の支配下となりました。ところが後に、『新羅』が『唐』を追い出して朝鮮半島をほぼ統一し、935年まで存続したのです。
ちょっと脇道にそれます。
実は『新羅』と中国の『秦』に関する面白い説があります。
「新羅の前身である辰韓は秦韓とも呼ばれ、中国の秦の人が建てた国だから、新羅は中国民族が建てた国」というもので、主に中国の古文書の記述によるものです。
朝鮮半島は、『唐』から見れば極東の僻地にある途上地域で、さして魅力はなく「適当にあしらっておけばいい程度の地域」だったと思われます。
ところが今は状況が違います。
いつか米・中の軍事バランスに変化が生じた時、中国は
1:『新羅』=中国民族の国
2:『新羅』=『韓国』
3:『韓国』=中国の領土
との論法で、南北朝鮮を併合する動きに出るかもしれません。
・・・つづく