古事記は、木国(きのくに)で木の股に逃げ込んだあとの経緯に全く触れていません。
「根の国訪問」は、「オオナムチがスサノヲの所にやってくると・・・」と始まります。
弓で威嚇された大屋毘古(おおやびこ)はオオナムチを木の股に逃げ込ませた、つまり逃亡させたのですが、スサノヲの住む「根の堅州国」は現在の松江市東出雲町辺りで、400キロ以上離れた所です。
刺客が肉薄している状態で逃げ出したのですから、オオナムチと刺客の距離はそんなには離れていなかったはずです。
400キロ以上の距離を、刺客に捕まらないで逃げられるとは思えません。
しかし、木国が紀伊国(和歌山県)ではなく、鬱蒼と木の生い茂った鳥取県日南町から島根県奥出雲地方のどこかであったとすればどうでしょうか。
和歌山地方は林業が盛んなことから「林業の神」である大屋毘古信仰の強いところです。でもそれは林業が「業」として認識されてからのことで、神話の時代に林業云々はなかったはずです。
「業」という意味なら、鳥取・島根の山間部も和歌山地方に劣らぬ林業地帯です。
この林業を「業」として認識するようになったのは、庶民が住む家を建築するようになってからのはずですから、よほど早くても平安時代後期(10世紀初め)頃でしょう。
ですから紀伊国と大屋毘古が結びついたのも、その頃ではないでしょうか。
となると、大屋毘古がいたのは紀伊国ではなく、山陰地方の山の中だったかもしれないのです。そこなら父親であるスサノヲの根の堅州国にも近く、極めて合理的です。