古事記は「オオナムチとスクナヒコナと二柱の神相並ばして、この国を作り堅めたまひき」と記しているだけで、スクナヒコナの具体的実績を紹介してはいません。
他方日本書紀は色々とスクナヒコナの紹介をしています。その上彼を高御産巣日(たかみむすひ)の神の子としています。
タカミムスヒは大和の祖神とされていますから、スクナヒコナは大和系ということになります。
古事記では出雲系、日本書紀では大和系、スクナヒコナのルーツはどちらだったのでしょうか?謎です。
そのスクナヒコナに去られ一人になった大国主は途方に暮れます。「いずれの神と国作りをすればいいのか」と悩みます。
要するにパートナーを失って悩んだ訳です。
失った理由があるはずですが、それは書かれていません。
このような状態の大国主のもとに助っ人が現れます。
「海を照らして近づいてくる神があった」と書かれています。
その神が言うには「私を丁重に祀れば国作りに協力しよう。もしそうしなければ国作りはできないだろう」
これを聞いた大国主は問い返します。
「どのようにお祀りすればよろしいので?」
その神は答えます。
「大和の山並みの東にある山の上に祀れ」
古事記は、これが御諸山(みもろやま)の上に鎮座している神であると紹介して終わっています。この御諸山の神は、三輪山を御神体とする大神(おおみわ)神社の大物主(おおものぬし)の神で、大和の守護神です。
私はこの部分を、次に展開する国譲りの導入部と理解しています。
国作りの最終局面で大和の力を借りたのだから、大国主が国を引き渡すのは当然だと暗示しているのではないでしょうか。
この辺りの話も知らないですね。
それだけ、膨大な話なんでしょうね。
古事記と日本書紀の記述での違いも気になります。
同じ伝来の内容を書いているので違いが生じるのは、書き手の都合があったのでしょうね。
ではでは!
>和平 明憲さん
古事記と日本書紀は、正史であり同時代のことを書いていますが、全く別物です。
古事記は、物語になっており、一応流れがあります。
日本書紀は、同じテーマに関して複数の見解が並記されおり、お役所の書類といった感じです。
古事記に書かれていているが日本書紀は紹介していないことは多々あります。
その逆もあります。
同時代に正史が二つ作られたというのはおかしな事ですが、古事記は国内向け、日本書紀は国外向けと解釈すれば納得できないこともありません。
何故そのようなことになったのか?
これについては後日書きます。
家内(かみさん)の名前がミワです。
ミワの大神は、古事記史上で最もワガママで、祟りをもたらす神様ですよね!!
あがめ奉りかたが分からず、困っています。
どうしたら良いでしょう?
触らぬ神に… ですかね。クワバラクワバラ