他方殺されたアメノワカヒコですが、妻のシタテル姫は嘆き悲しみます。古事記は、その声が高天原のワカヒコの父親やその妻にまで届いたと記しています。
そこでワカヒコの家族達は出雲へ来て、死者を弔います。
そこへ、友人のアヂシキタカヒコネが弔問に来たのですが、彼がワカヒコそっくりなので、家族は「死ななかったのだ」とタカヒコネに取りすがって嘆き悲しんだと書いてあります。
でも私は、この部分はおかしいと思っています。
死んだと思っていた息子や夫が生きていたら、「悲しむ」のではなく「喜ぶ」のではないでしょうか。
それに、ワカヒコに間違えられたタカヒコネは、「死者に間違えるとは汚らわしい」と、刀で喪屋を切り倒し、足で蹴飛ばしたと書かれています。
死んだ友人と間違えられたからといって、こんな事をするでしょうか?
古事記は、蹴飛ばされた喪屋が美濃の国の喪山で、その刀が神度剣(かむどのつるぎ)だと説明していますが、この部分を掲載している意味が分かりません。
学説では、「穀物の死と復活」信仰による農耕祭儀に由来するとしていますが、納得できません。
それよりこの現場と伝えられる地があります。
鳥取県大山町妻木の妻木壹宮(むきいちのみや)神社です。
妻木壹宮(むきいちのみや)神社
現場は、現在の社地ではなく、南へ1km程のところだそうです。
この神社の主祭神はアメノオシホミミですが、一緒に祀られているのがシタテル姫です。
シタテル姫はイザナミが産み損ねた火の神を難なく産んだとされ、安産の神様として慕われています。
主祭神ではないのですが、この神社は安産の御利益がある神社として、鳥取県西部から島根県東部の広い範囲に信者がいたそうです。