古事記では、国譲りは「交渉により平和裏に行われた」と感じさせる表現になっています。
本当にトラブルなく行われたのでしょうか?
一か所、武力衝突があったと思わせる部分があります。
それは大国主のもう一人の息子、タケミナカタの記述です。
コトシロヌシが了解したあと、タケミカヅチは「他に聞いておく息子はいないのか?」と大国主に問いかけたと記しています。
そこへタケミナカタが帰ってきて言います。
「我が国に来てこそこそ話しているのは誰だ!腕ずくで来い」
これは私の意訳です。
原文は「言誰来我国而 忍忍如此物言 然欲為力競」です。
要するに裏交渉だけではなく、暴力沙汰もあったということでしょう。
しかしタケミカヅチは、アニメに出てくる戦士のようです。手が「氷」になったり「剣」になったりするのです。
これに驚いたタケミナカタは「堂々と戦え」と掴みかかりますが、軽く投げ飛ばされてしまいます。
これでは勝てないと信濃の諏訪まで逃げますが、追いつかれ殺されそうになり「殺さないでくれ、ここから出ない。父やコトシロヌシの言う通りで、あの国はそちらの好きにしてくれ」と命乞いをしたと記されています。
タケミナカタを追放したタケミカヅチは、再度大国主に尋ねます。
「お前の息子達は我々に従うと言うが、お前はどうだ?」
大国主は答えます。
「息子達と同じです。この国は献上します。皆様方のような立派な宮殿を私に建てて下されば、私は幽界に身を置きます。コトシロヌシが皆様に従えば、この国の部下達も背くことはないでしょう」
このあと多芸志(タギシ)の浜に神殿を造って、迎宴を開きますが、この神殿は大社とは別物だと思います。