「古事記」は『独立宣言』だった!?【6】

日本の場合は大陸部とは様子が違います。
大陸から見れば東の海の向こうの島ですから、海あるいは島の海岸線が国境となります。

『唐』や『新羅』がよほど必要性を感じなければ、海を越えて まで攻めては来ません。
それでも白村江での大敗で実力を思い知らされた日本は、668年から新羅に使節を派遣しています。「逆らいませんから、よろしくお引き立てを」といった感じですね。

500年代後半からこの頃までの日本のトップ=天皇を、年代順に並べてみます。
(数字は天皇の代位と西暦在位期間)

天皇名 在位期間 備考・主な出来事 中国・朝鮮半島
30 敏達(ビダツ) 572~585 天然痘大流行、天皇も病で崩御 隋が台頭・朝鮮三国
31 用明(ヨウメイ) 585~587 飛鳥時代、物部・蘇我の対立で物部滅亡 隋・朝鮮三国
32 崇峻(スシュン) 587~592 蘇我馬子が大臣となる 隋・朝鮮三国
33 推古(スイコ) 592~628 初の女帝、聖徳太子を摂政とする 唐が台頭・朝鮮三国
34 舒明(ジョメイ) 629~641 蘇我蝦夷が大臣となる、蝦夷の姉妹が妃 唐・朝鮮三国
35 皇極(コウギョク) 642~645 女帝、舒明の妃、乙巳(イッシ)の変 唐・朝鮮三国
36 孝徳(コウトク) 645~654 皇極の弟、鎌足らの傀儡、大化改新 唐・朝鮮三国
37 斉明(サイメイ) 655~661 皇極の再即位、百済援軍大敗 唐・高句麗・新羅
38 天智(テンジ) 661~671 飛鳥から近江へ遷都 唐・新羅
39 弘文(コウブン) 671~672 天智の子(即位不明)、明治3年に皇位追贈 唐・新羅

40代天皇が「この国の正しい歴史書を編纂しよう」と発案した天武(在位期間は673~686年)です。天皇になる前の彼の名は大海人皇子で、38代天智天皇の弟です。

日本中を震え上がらせた白村江の戦いは、兄である天智が天皇について2年目の663年、『百済』が滅びてから3年目のことでした。

つづく・・・

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