「古事記」は『独立宣言』だった!?【7】

『百済』が滅びた時、その生き残りが長年親しい関係にあった日本に亡命していました。百済王朝の官僚達の中には、天智政権の官僚として仕える者もいました。

実は『百済』は、300年代の後半つまり中国を『隋』が支配している頃に「日本に従属していた」との説もあり、日本が「庇護」する関係だったようです。ですから天智天皇は、亡命『百済』人の要請を受けて出兵し、大敗を被ったのです。

白村江の戦い後、朝鮮半島は『新羅』の時代となりました。日本が『百済』人を庇護しているということは、『新羅』に敵対するということです。ですから日本には、天智天皇の『百済』人庇護政策を危険と考える派がいたはずです。『百済』『新羅』のどちらにも肩入れをするのではない『国粋派』というべき者達です。

亡命者は、身の安全を守ろうと権力者にすり寄ります。『百済』人達は、天智天皇の考え方が変わらないように『国粋派』を天皇に近づけないよう画策したのではないでしょうか。

それが目に余り、『国粋派』は「そこまでやるか」と『反百済庇護』意識に変わっていったと思われます。これに、日本に住んでいた『新羅』人と、彼らと親しい日本人、つまり『新羅派』が目を付けないはずはありません。

やがて天智天皇を中心とする『百済派』VS『新羅派』+『国粋派』の構図が生じたようです。

つづく・・・

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