古事記編纂の理由は、「序」の部分に書いてあります。
ところがその「序」は、後年付け加えられたとの説があります。
勿論そうではないとの説が主流なのでしょうが、どちらが正しいかの決着はついていません。
双方の言い分に関わり合っていますと前へ進めませんので、私は素直に読むことにします。
「序」は三段に分かれています。
第一段は、天と地が分かれた頃から第十九代允恭(いんぎょう)天皇までのことを簡単に述べているのですが、ここでのポイントは二ヶ所です。
ポイント1は、神代の部分の最後
「安河(やすのかわ)に議(はか)りて天下(あめのした)を平(ことむ)け、小浜(をばま)に論(あげつら)ひて国土(くに)を清めき」と書かれている部分です。
これを一般的感覚で現代文にすれば
「安の河(高天原にあるという河)で神々が相談し、出雲のイナサの浜で(タケミカヅチの神と大国主神が)交渉して、葦原中国(あしはらのなかつくに=古代出雲地域)を平定した」
です。
ですが神道的感覚ですと
「安の河で天下平定を神々が相談し、(タケミカヅチの神が)出雲のイナサの浜で(大国主神を)説き諭(さとし)て、国土を清めた」
でしょうか。
どのような立場で訳すかで微妙に表現が変わり、受け取り方も変わります。
しかし、「平定」つまり「嫌がることを無理矢理させた」ということを、冒頭で述べているのです。
ポイント2は次回
…つづく