古今東西のフィクション・ノンフィクションとも、登場者には皆それなりの役割があります。
古事記がフィクションであったとしても、同様でしょう。
古事記は、『天皇家が、日本の正当な統率家系であることを証明するために書かれた書物』との見方で、大きな間違いはないようです。
ということは、フィクションよりノンフィクションに近いかも知れないのです。
これを前提としますと、神々の「登場理由」について考えない訳には行きません。
そこで、主な神々が「なぜ登場したのか」を考えてみたいと思います。
(1)天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
混沌とした状態の中から天と地が分かれた頃、高天原(たかまがはら)に神様が現れます。この高天原がどこなのか分かりませんが、我々の住む世界ではないイメージを持たせるように書かれています。
まず三柱の神が現れますが、一番目が天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)です。
この神は天地を主宰する神のようですが、ここで登場するだけです。
一回しか登場しない神をわざわざ紹介する意味が分からないのですが、あとに続く二柱の神の役割を考えますと、調整役的立場としての存在が必要だったのかなと思えます。
・・・つづく
古事記を勉強しています。出雲系と皇室系の考え方 おもしろいですね。
これからも楽しみに読ませていただきます。
>お寺の若嫁 スマイル エンジェルさん
お返事遅くなりまして申し訳ございません。
仕事の合間の更新ですので頻繁にとはいきませんが、今後とも宜しくお願い致します。