古人(いにしえびと)が最も住みたいと思った地域とは
九州は火山の多い地域ですが、北東部と日向地方にはありません。
しかし周辺の火山性地震や火山灰に襲われます。
宮崎県立西都原(さいとばる)考古博物館に、それに関する詳細な説明があります。
何百年に一度だったでしょうが、火山灰による被害が住民を悩ませたようです。
日向地方に住んでいた部族は、より安全な地域を探したのではないでしょうか。
中国地方はどうでしょう?
広大なエリアに大きな活断層はなく、豊かな森に覆われています。
イザナギ・イザナミの国生みで、この地方は大倭豊秋津島(おおやまととよあきづしま)と表現されており、字面から豊かさを感じさせます。
また国譲りの発端は、アマテラスの「豊葦原(とよあしはら)の千秋長五百秋(ちあきのながいほあき)の水穂国(みずほのくに)は、・・・」という言葉で始まります。
いわゆる葦原中国(あしはらのなかつくに)です。
大地震がほとんど無く、安全で緑したたる豊かな地ということですから、ここに住む部族は移住など考えなかったはずです。
奈良・紀伊地方も北部以外には大きな活断層は無く、豊かな森に覆われた地だったはずです。おまけに奈良は、山に囲まれた泉の多い盆地です。
難点は、紀伊地方が台風に襲われることが多い点ですが、移住を考えなければならないほどではなかったはずです。
以上三地域で、最も広大で安全なのが中国地方(葦原中国)で、そこにスサノヲによる古代出雲王権が出現していたのです。
次に安全なのが奈良・紀伊地方ですが、奈良盆地ではナガスネビコを中心とする勢力が紀伊一帯の諸部族と良好な関係を築いていたのではないでしょうか。
・・・つづく