活断層の分布と古人(いにしえびと)の知恵【6】

日向部族は安全な地を求めて移動した

安全な地を求めた日向部族は、まず最も強大だった葦原中国(中国地方)を配下に置きました。古事記神話ではその過程を国譲りとし、平和裏に譲渡されたとしているのではないでしょうか。
その後出雲部族を活用して、奈良・紀伊地方をも征したのではないでしょうか。

私は、日向部族は当時の日本の中央にあった古代出雲地方に移住するつもりだったのではないかと考えています。
ところが大陸や朝鮮半島の脅威に距離を置こうと、次の安全地である奈良・紀伊地方に変更したのではないでしょうか。
その過程を記したのが、神武東征と考えています。

神武は、九州地方から→安芸(広島)→吉備(岡山)→登美(奈良)と移動しています。
日向部族としては、葦原中国の中心である出雲地方の魅力は捨てがたかったのでしょう。
大陸や朝鮮半島と直接つながらないが出雲に近い場所として、広島を検討したのでしょう。
7年間も滞在しているのですから。
しかし「危険だ」ということで、より離れた岡山に移動し、8年間検討します。
結局「ここもダメ」ということになり、更に東の、第二の安全地帯である奈良・紀伊地方に落ち着いたのではないでしょうか。

・・・つづく

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