アマテラス ≪その五 完結編≫
ここでのテーマは「もしも古事記の神々が人間だったら」ですから、「アマテラスが人間だったならどのような人物だったのか?」に対する私の結論を書きます。
私は、彼女は部族を束ねる立場の人物の娘だったと考えています。
当時は一夫一婦制ではありませんから、彼女の父親には複数の女性に生ませた子供達がいたのではないでしょうか。
彼女が何番目の子供か分かりませんが、兄弟姉妹がいたと考えられます。
彼女の部族に末子相続(末っ子が親を継ぐ)の風習があったなら、彼女が末っ子ということになります。
そのような風習がなかったなら、父親は彼女が後継者として最もふさわしいと考えたのでしょう。
部族を束ねる立場の者は、部族の命運を握っています。
ですから後継者は、部族の誰もが納得する人物でなければならなかったはずです。
女性のアマテラスが選ばれたことには、巫女的理由もあったかも知れません。
でも最大のポイントは、当時の生活環境で最も優れた能力を持っていたからではないでしょうか。
彼女が後継者として生まれていたなら、後継者教育を受けながら育ったはずです。
また父親が彼女の能力を評価して後継者に決めたのであれば、能力に気付いた時からそれなりの教育をしたはずです。
いずれにせよ、彼女は早い時期から統率者たる教育を受けていたと考えられます。
これにより持って生まれた性格の上に「洞察力」「強い意志」「威厳」といったものが付け加えられていったはずです。
どのような集まりでもそうですが、トップには補佐役やブレーンがいます。
アマテラスの周りにもそのような人材が配置されていたはずですが、父親がつけた者もいればアマテラスが選んだ者もいたでしょう。
タカミムスヒやオモヒカネは、父親がつけた者達だったのではないでしょうか。
私は、アマテラスが葦原中国を領土化しようとしたのは、彼女の「先代時代からの脱皮」作戦だったのではないかと考えています。
彼女は、部族の繁栄を維持するには新天地での新たな体制作りが必要と考えたのではないでしょうか。
つまりアマテラスは、情熱に満ち、理想を語って部族民を納得させることができる演説力を持つ指導者だったのではないでしょうか。
しかしエリートとして育てられたため、地をはう苦労や苦難は知らなかった。
だから葦原中国の部族(=国津神)のしぶとい抵抗にまで思いを馳せることができず、領土化の手順を間違えただけではなく、失敗した場合の準備もしていなかったのではないでしょうか。
その上、失敗の経験も積んでいなかった、つまり叩かれ弱かったのです。
ですから、アメノオシホミミが敗退して帰ってきた時に狼狽して統率者としての判断ができなくなり、父親の代からの番頭連中が表に出てくる状態を招いてしまった・・・。
本来なら、彼女は失敗を経験して更に素晴らしい人物になれたはずです。
でも番頭達がそうはさせなかった。
彼女の描いた計画は素晴らしいものであり、葦原中国を手に入れたことにより全国の覇権を握れる道筋が見えたのです。これに気付いた番頭達は、人望ある彼女(血筋)をお飾りとして祭り上げ、権力の実行は自分達が行えるようにしたのではないでしょうか。
彼女をひと言で表現すると「先見性と統率力があり、人間としても優れていて人望もあった。だが逆境には弱かった」です。
―アマテラス編 完―
連載はまだまだ・・・つづく