ナガスネヒコ≪その二≫
ではナガスネヒコとは、どのような人物だったのでしょうか?
単純な発想ですが、名前から「スネが長い」と受け取れます。
「スネが長い」ということは手足が長いということです。
他の部族に比べて「手足が長い体型」、つまり白人型の体型と考えることができます。
そこでナガスネヒコの部族は、北方から渡来した白系ロシアの遺伝子を持つ部族だったのではないかと考えました。
体も大きかったでしょうから、戦闘能力も優れていたと考えられます。おそらく日本海側から移動して奈良盆地に住み着き、盆地内部族が共生する秩序を創り上げていたのではないでしょうか。
奈良盆地は、周辺山地に降った雨が川として流れ込み、大阪湾に注いでいます。これは表面ですが、雨は山に染み込んで地下水となり、低地の地中にも流れています。
この地下水が地底の岩盤に遮られて地上に跳ね返されたのが「湧き水」で、そこが窪地であれば池となります。
川の流れる低地から高いところに水を引き上げる土木技術を持たない古代、そのような池を中心として農業が発生しています。
奈良盆地は、地形的に農業に適した地域でした。
しかも周りを山に囲まれていますから、部族間に合意ができていれば盆地内の秩序が保たれた盆地世界ができます。
奈良盆地内には、長い年月をかけて創り上げた「秩序ある世界」があったのではないでしょうか。
私は、それをとりまとめていたのがナガスネヒコと伝えられる人物だったのではないかと考えています。
食糧が豊富に生産されれば人口が増えます。
人口が増えれば更に食糧が必要になります。
不足すれば、食糧生産地の取り合いから部族間の争いが生じます。そのような場合に調整機能があれば、闘争ではなく共生が可能となります。
ナガスネヒコの部族が調整機能を持っていたなら、盆地内は部族共生の世界となるのです。そしてそこに住む者は、年月をかけて創り上げてきた土地と秩序を守ろうと考えます。
ですから奈良盆地の部族達は、自分達の世界に介入しようとする者に対し「団結して阻止する」考えを持っていたのではないでしょうか。
つまり古代の奈良盆地には、「孤高の世界」が築かれていたと思います。
・・・つづく