古事記おじさんの『21世紀の視点で古事記を読む』【4】

― 天武天皇はなぜ歴史書の編纂を発案したのか? ― ①

実のところ、日本最初の歴史書がどのようなものだったのかは分かっていないのです。
原本ではなくても写本が現存することから、712年に完成したとされている古事記が最古ということになっています。ところが720年完成の日本書紀に、もっと古い物があったようなことが書かれています。

それは35代皇極(こうぎょく)天皇(在位642~645年)の部分です。その中に蘇我の蝦夷(えみし)・入鹿(いるか)滅亡の記述があるのですが、「蝦夷らは殺される前に、すべての天皇記・国記・珍宝を焼いた。船史恵尺(ふなびとのえさか)はそのとき国記を取り出して中大兄(なかのおおえ)にたてまつった」と書かれているのです。

中大兄とは、天智天皇が天皇になる前の名前です。この名前で中学校の歴史で習った『大化改新(たいかのかいしん・645年)』を思い出されたでしょう。大化改新を今風に言えば、『当時権力を握っていた蘇我グループを、中大兄グループが倒したクーデター=乙巳(いっし)の変から始まる統治の改革』です。

今でもそうですが、クーデターを起こされた側は、起こした側から「不正!」「横暴!」と追求されることをしていますから、それに関する『証拠』を隠滅します。
その一番いい方法は『燃やす』ことです。今の世でもあちこちでしています。
これから考えますと、『天皇記・国記は、敵の手に渡ると困るもの』だったのでしょう。
日本書紀は「国記を取り出し、中大兄に渡した」と書いていますから、どの程度かは分かりませんが国記は残り、中大兄が持っていたことになります。
珍宝は価値のある物ですから、手に入れた者の利益になります。ですから敵に利益を与えないようにしたのです。

クーデター(=乙巳の変)を成功させたグループは権力を手に入れ、自分達が理想と考える支配体制(=国)を作ろうとします。その総仕上げが歴史書作り、つまり古事記や日本書紀の編纂だったのです。ですから、このクーデター前後の状況がある程度分かっていると、古事記や日本書紀に書かれていることの背景が見えてきます。

・・・つづく

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