―「神話部分」を読む ― 寄り道 ④
『古事記』は歴史書として編纂されたものですから、編纂者や日付が書かれています。
編纂目的が「天皇家(族)が日本の正統な支配者であることの証明」ですから、人間が現れるまでの状況は、「目的に合致」するように「創作」されたと考えられます。でもこの「創作」を、当時日本列島に住む者の大半が受け入れたのです。
なぜ受け入れたのか?
寄り道 ①の最後の部分で述べました、“「自然上位・多神」発想の共有”に基づく創作だったからです。
とはいえ編者達は、各部族の祖=神の時代の始まりを『高天原』に設定することには抵抗があると考えたでしょう。
そこで、最初の登場神を『アメノミナカヌシ』、次に『タカミムスヒ』と『カムムスヒ』の三神としたのではないでしょうか。
『タカミムスヒ』は天皇族の祖神で、『カムムスヒ』は出雲族の祖神ということは古事記を読み進めば分かります。
ところが『アメノミナカヌシ』は、古事記を読んでも明確ではありません。(後続書では諸説あります)
おそらく『高天原』にクレームが出た場合、全部族に対するオールマイティーのカードとして使えるように最初に登場させたのだろうと考えます。
例えば、A部族から「お前達の祖の地である『高天原』を最初の神が現れた地とすることには納得できない」とクレームが出た場合、「場所は『高天原』だが、最初に現れた『アメノミナカヌシ』はA族の祖神と考えている」と応じるといった具合です。
要するに『古事記』のこの部分は、「当時の現状を前提に、編纂目的に合致するように創造された」ものと考えられます。
ですから既に存在する「自然=海と空」の中に神が現れたのであって、神が「自然」を創ったとする発想ではありません。とは言え、植物・岩石など「自然」界の表面に存在する「物」に関しては、最初に現れた神につながるものとしています。これは、それらが『高天原』の神に帰属するものであるという「所有権」の主張でしょう。
・・・つづく