古事記おじさんの『21世紀の視点で古事記を読む』【35】

―「神話部分」を読む ― 火神被殺 ③

妻を埋葬し終えたイザナミは刀を抜くと、妻を死に至らせた迦具土(かぐつち)の神の首を斬ります。
日本民族の父親であるイザナギは、生まれて間もない赤ん坊の首をはねるという残虐行為を平然と行う男だったのです。

これを現代の倫理観で判断すると「とんでもない奴!」となりますが、人間が限りなく獣に近い古代社会では珍しいことではなかったようです。
今現在の生活力(生産力)を重視するか、将来のそれを重視するかの選択なのです。

世界中に神話がありますが、その全てが 古代社会では「今」を生き延びることが最優先課題 だったことを記しています。
幼児は、手間と時間が必要な「将来の生活力」ですから、「現在の貴重な生活力」を失った(=妻の死)時点では邪魔以外の何物でもなかったのです。

ここで幼いカグツチを殺す行為をわざわざ記しているのは、
「このように素早い判断と行動が出来る男であったから、部族の祖となり得た」
「その男を祖とするゆえに、我が部族が全部族の頂点に立つ資格を持っている」
との表明ではないでしょうか。

部族の成り立ちの伝承=神話を文字で記そうとする時代には既に「指導者・権力者」が現れています。
そのような立場の者は、「今」のみではなく「今を将来につなぐ」ことを考えます。
ですから古事記は「斬った」で終わらせるのではなく、「斬った結果」を将来に結びつけています。

具体的には、刀の先に付いた血が多数の岩に飛び散って現れた神として

42 石折神 (いはさくのかみ)
43 根折神 (ねさくのかみ)

42、43は、石根折(いはねさく)という凹凸を意味する言葉をふたつに分けたようです。42が盛り上がった部分で、43がへこんだ部分でしょうか。分けた理由は分かりません。

44 石筒之男神 (いはつつのをのかみ)
「筒」は「都知」の借字で2の石土毘古神(いはつちびこのかみ)と同じ岩や土の神。

刀の根本に付いた血も多数の岩に飛び散って、以下の三神が現れます。

45 甕速日神 (みかはやびのかみ) 本来は美迦波夜備(みかはやび)
美迦=伊迦で「たいへんだ。はなはだしい。という状態の意味」
波夜備は、「猛烈に激しい。という意味」
ともに「ものスゴイ!」という言葉が合体しているのですから、「とんでもなくスゴイ状態」ということになります。

46 樋速日神 (ひはやびのかみ) 本来は比波夜備(ひはやび)で、比は「乾く」という意味で使われているようですから、「刀の根本に噴きついた血が岩に飛び散って素早く乾き、血のりになる様子」のようです。

47 建御雷之男神 (たけみかづちのをのかみ) 意味は「とんでもない荒々しさを持つ刀の神」
またの名を、建布都神(たけふつのかみ)豊布都神(とよふつのかみ)

次に刀の手上(たがみ)=柄(つか)=刀を握る部分に溜まった血が、握りしめたこぶしの指の間から滴り落ちて現れた神が

48 闇淤加美神 (くらおかみのかみ) 闇=久良(くら)で「谷」の意味。
淤加(おか)の意味は分かりません。 美は「龍」の意味で、「谷の龍神」ということのようです。

49 闇御津羽神 (くらみつはのかみ) 闇は「谷」の意味で、御津羽(みつは)は「水」ですから、「谷の水の神」という意味のようです。

以上 42 から 49 の合計八神(やはしら)は、刀から産まれた神だと特記しています。
でも厳密に分ければ、42・43・44 の三神は岩原、45・46 の二神は火の神カグツチの火の力、47 は刀、48・49 の二神は血から出現しています。

宣長は「刀とは、火で焼いて石に水を注ぎながら研ぐことによって完成するのだから、火と石と血から出現した七神は建御雷の構成要素である。だから八神の中で建御雷だけが功を発揮することになる」と解説しています。

そのあとにカグツチの体から生まれた八神を紹介しています。

頭から生まれた
50 正鹿山津見神 (まさかやまつみのかみ) 正鹿=「眞坂(まさか)」で、山の坂

胸から
51 淤縢山津見神 (おどやまつみのかみ) 淤縢=「下處(おりど)」で、山の麓

腹から
52 奥山津見 (おくやまつみのかみ) 読んで字のごとく

陰部から
53 闇山津見神 (くらやまつみのかみ) 山の谷

左手から
54 志藝山津見神 (しぎやまつみのかみ) 志藝山=「繁木山(しぎやま)」で木の繁った山

右手から
55 羽山津見神 (はやまつみのかみ) 羽山=「端山(はやま)」で山の端

左足から
56 原山津見神 (はらやまつみのかみ) 読んで字のごとく

右足から
57 戸山津見神 (とやまつみのかみ) 戸山=「門山(とやま)」で奥山に対する外山

そして最後にカグツチを斬った剣の名を紹介しています。
天之尾羽張 (あめのおはばり) 亦の名を伊都之尾羽張(いつのおはばり)
尾=「剣の先」・羽=「刃」・張=「広い状態」 つまり先が広くなった諸刃の剣

イザナミの死の場面もカグツチ惨殺の場面も、極めて具体的に描写されています。
これは古事記を書いた人物が、「病死や斬殺を自身の目で見ていた」からとしか思えません。
つまり「死」は日常茶飯事で、「死に行く過程」は誰でも目にすることだったのでしょう。

・・・つづく

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