古事記おじさんの『21世紀の視点で古事記を読む』【46】

―「神話部分」を読む ― 禊祓と神々の化生 ③

この「清め」の行為により様々な神が現れます。

故(かれ)、投げ棄(う)つる御杖(みつえ)に成れませる神の名は、
(1) 衝立船戸(つきたつふなどの)神

この神名は、「フナド」とは「物を突き立てて、それを超えて来てはならない」と止める意味で、「境界(或いは結界)にいる神」である。
他に「クナド」の神と読んで「サイ」の神と同じ意味とする説に関した説明もしていますが省略します。

次に投げ棄つる御帯(みおび)に成れませる神の名は、
(2) 道之長乳歯(みちのながちはの)神

この神名は、帯の状態が長い道に似ているからである。
「道之長乳(みちのながじ)」の「乳(ち)」は「道(ち)」であって「道之長道(みちのながじ)」と同じであろう。「歯」の意味は分からない。

帯を外して放り投げた状態が「道」のようだということでしょう。

次に投げ棄つる御裳(みも)に成れませる神の名は、
(3) 時置師(ときおかしの)神

「裳」は女性が着る物であってどの古書にも男の衣服では出てこないから、
ここで「裳」について語っているのはとても変だ。
だが和名抄に、「松は小褌(はかま)なり」とある。
「松」と「褌」を別にしているのは、
「松」は「褌」の下に着ける今でいう下帯のようなもので、
昔はその上に「褌」を着けたのかもしれない。
そうであれば、古代は「松」を「裳」と言ったのだろう。

あとで「褌」が出てくるが、それは上に着ける「袴」のことだから問題はない。
「置」の字は「直」の間違いではないか。
そうであれば「ときなほし」である。
原文のままなら「ときおかし」と読むべきである。
「量」と書くものもあるが、これもどうだろうか。

「時」は、「解(とき)」である。
「置師(おかし)」は、「立(たち)」を(たたし)と言うように「置」を伸ばした言葉である。
この神名は、「裳」を解いて置いたという意味であろう。

今風に言えばズボンを脱ぎ捨てたということでしょう。

次に投げ棄つる御衣(みけし)に成れませる神の名は、
(4) 和豆良比能宇斯能(わずらひのうしの)神

御衣は、古代には(みそ)とも読んだが、ここでは(みけし)と読むべきである。
和豆良比能宇斯能(わずらひのうしの)神を日本書紀では「煩(わづらひ)の神」としている。
和豆良布(わづらふ)は、物に障(さは)り滞(とどこほ)る意味である。
この神名は衣服に関係があるとは思えない。
強いて言えば、「汚れた衣服を脱ぐ」ことが、「煩わしさから解き放たれて気持ちがすっきりする」のに似ているということだろうか。
汚れた衣服を脱ぎ捨ててさっぱりした状態ということのようです。

次に投げ棄つる御褌(みはかま)に成れませる神の名は、
(5) 道俣(ちまたの)神

日本書紀にはこの神名はない。
猿田彦の神をチマタの神と言うが、それとは別である。
ヤチマタヒコ・ヤチマタヒメという神がこの神である。
神名の由来は、袴の股の所が分かれているところがチマタ(分岐点)に似ているからである。

「道俣」は道の分かれている所のことです。そこで進行方向を教えたり(=道案内)、
そこからの侵入者を防ぐのが道祖神です。
猿田彦は、天孫降臨の道案内をしたことから「チマタの神」=道祖神とされています。

次に投げ棄つる御冠(みかがふり)に成れませる神の名は、
(6)飽昨之宇斯能(あきぐひのうしの)神

ここで宣長は、「冠」がいつから使用されていたについて述べています。
日本の古代に「冠は無かった」説があるが、その前提で考えてみよう。
中国の書物の我が国に関する記述に
「頭に冠無し、両耳の上に髪を束ねている。隋時代にその国の王が冠を制度化した」とある。
神話時代の首から上の飾りを調べてみると、宇受(うず)という物がある。
これは倭建の命の歌にも登場する。
日本書紀には髪華(うず)と書かれている。
これは、草木の枝(少し後の時代には金銀)などで作って、髪に刺した物である。
「冠は無かった」説の根拠は、
『「冠」を付けていれば、そのような飾りを髪に刺す必要がない』というものだ。
(「冠」に飾りを刺すようになったのは、後の世のことであろう)

(髪飾りを)元々は直接髪に刺していたであろうことは、日本書紀の「髪華」の字で分かる。
古事記・日本書紀の神の時代に、(この場面以外に)「冠」について述べていない。
景行紀・雄略紀などに「衣冠」と述べているが、それは文脈でそのように記しているだけで「冠」について述べているのではない。
以上により、推古紀に「冠位を始めて行う」とあるのが「冠」の始まりではあろう。

とはいえここにイザナギ大神の「冠」が語られているのであるから、
「冠は無かった」説は正論ではないだろう。
「冠はあった」と考えれば、推古紀の記述は「階級を初めて定めた」ということである。
出雲国風土記神門の郡に、冠山の説明として「大神の御冠なり」とある。
(この大神は、大穴牟遅の命のことである)このように書かれているのは古くから「冠」に関する伝承があったということである。

宣長はイザナギの禊祓いの場面で「冠」が語られているので、その時代から「冠」はあったのだとしているのです。

さて神名についてですが、
「アキ」は頭から外した冠の丸く空いている状態で、
「クヒ」は「食い」につながり「口」、
つまり丸く空いた形が口に似ていることによる。
としています。

・・・つづく

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