古事記おじさんの『21世紀の視点で古事記を読む』【47】

―「神話部分」を読む ― 禊祓と神々の化生 ④

「清め」の行為は続きます。

次に投げ棄つる左の御手の手纏(たまき)に成れませる神の名は、
「たまき」とは、手の甲を覆う「小手」のような物だろう。
実は日本書紀にはこの「たまき」の記述は無く、ここから現れる六神も無い。

「左の御手纏(みたまき)から生じた三神を「奥(おき)」と言い、
右のに生じた三神を「邊(へ)」と言う。
「奥(おき)」は海の奥(おき)、「邊(へ)」は海邊(うみべた)であって対の言葉である。
左を奥としたのは古くから「左手を奥の手」としているからである。
当然右手は手前(端)ということになる。

(7)奥疎(おきざかるの)神
「疎(さかる)」は、古文書に「放」とか「離」の文字で表されている。
今の言葉でも「遠ざかる」と言うが、まさにこの意味である。
ここで「ざかる」と濁音にしているのは、奥(おき)とつながっているからである。

現代の「沖」という意味のようですが、「沖へ向かう神」という意味でしょうか?

次に(8)奥津那藝佐毘古(おきつなぎさびこの)神
「那藝佐(なぎさ)」は「波限(なぎさ)」とも書くが、波うち際。
現代の「渚」です。

次に(9)奥津甲斐辨羅(おきつかひべらの)神
「甲斐(かひ)」は「間(あひ)」という意味だ。
「間(あひ)」は「合(あひ)」の意味で、
「あちら」と「こちら」が合う所ということだ。
「羅(ら)」は「方」という意味。
ここでは、「離れた所」と「渚」との間という意味である。

次に投げ棄つる右の御手の手纏(たまき)に成れませる神の名は、
(10)邊疎(へざかるの)神
次に(11)邊津那藝佐毘古(へつなぎさびこの)神
次に(12)邊津甲斐辨羅(へつかひべらの)神

以上、左方の三神をそれぞれ「奥(おき)つ」なにがし、
右方の三神を「邊(へ)つ」なにがしと称して、
左と右を「奥(おき)」と「邊(へ)」としている。
更に左も右もそれぞれ
「疎(さかる)」=奥(おき)
「波限(なぎさ)」=邊(へ)
「甲斐(かひ)」=間
として三神としている。

六神名全ての上に「奥(おき)」「邊(へ)」が付いており、
下に「疎(さかる)「波限(なぎさ)」「甲斐(かひ)」が付いているが、
上と下とを離して理解すべきである。

つないだままで考えると、奥津那藝佐(おきつなぎさ)という名など理解できない。

最初の六神<船戸(ふなど)~飽昨(あきぐひ)>は、
陸(くにが)の路(みち)の神
後半の六柱<奥疎(おきざかる)~邊津(へつ)>は、

海つ路(ぢ)の神である。

右の件(くだり)の船戸(ふなどの)神以下(よりしも)、
邊津甲斐辨羅(へつかひべらの)神以前(まで)の十二神(とをまりふたばしら)は、
身に着ける物を脱ぎうち給ひしによりて、成りませる神なり。

・・・つづく

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