古事記おじさんの『21世紀の視点で古事記を読む』【55】

―「神話部分」を読む ― 三貴子の分治 ④

故(かれ)各(おのもおのも)
依(よ)さし賜(たま)へる命(みこと)の隋(まにま)に、
所知看(しろしめす)なかに、

「各」は、「己(おの)も己(おの)も」の意味
「賜」は、単に崇め奉る言葉
「命」は、御言で「おことば」の意味
「隋」は、時間の経過

こうして、それぞれ
(イザナギから)命じられたお言葉とおりに
管理していたのだが、

速須佐之男の命、
命(よ)さしたまへる国を治(し)らさずて、
八拳須(やつかひげ)心前(むなさき)にいたるまで啼(な)きいさちき。

スサノヲの命は
命じられた国の管理をしないで、
あご鬚が胸元に届くようになるまでの長期間泣きわめいていた。

その泣状(なきたまふさま)は、
青山(あおやま)を枯山(からやま)なす泣枯(なきからし)
河海(うみかわ)は悉(ことごと)に泣き乾(ほし)き。

その泣く様子は、
山の草木を泣き枯らしてしまい、
川や海の水も干上がってしまう程の凄まじさであった。

この神(スサノヲ)が泣いたことで山海河が干上がってしまったのはなぜだろうか?
泣けば涙が出るから、その涙の方へ山海河の潤いが吸い寄せられてしまったからであろう。潤いが無くなれば万物が干からびて壊れてしまう。
この神の(このような状況を引き起こす)姿は、イザナミの「一日二千人殺す」意思の現われなのである。この神は、イザナミの黄泉の穢れの残滓から現れたからである。

是以(ここをもちて)
悪神之(あらぶるかみの)音(おとなひ)狭蝿(さばへ)なす皆満(みなわき)、
萬物之(よろづのものの)妖(わざはひ)悉(ことごとに)發(おこりき)。

「狭蝿」は、五月(さつき)ごろの蝿。
蝿に「狭(さ)」が付いているのは、田植え頃にこの虫は増えてうるさいので「その頃」だと示す表現。
「皆満」の「満」は間違い。正しくは「涌」で「沸き出でて騒ぐ」状態。
初夏、おびただしい数の蝿が羽化し始めたときの羽音や状況

そのために
凶悪な神達の騒ぐ声が夏の蝿のように沸きあがり、
あらゆる凶悪な現象が一斉に発生した。

故(かれ)伊邪那岐の大神、速須佐之男の命に詔(のり)たまはく。
「何由以(なにとかも)汝(みまし)は事依(ことよ)させる国を不治(しらさず)て哭(なき)いさちる」
とのりたまへば、白(まをし)たまはく。

そこでイザナギの大神はスサノヲに尋ねた。
「なぜお前は私が命じた国の管理をしないで、泣きわめいているのだ」

「僕(われ)は妣(はは)の国、根之堅州国(ねのかたすくに)に罷(まからむ)と欲(おもふ)がゆえに哭(なく)」
とまをしたまひき。

「僕」本来の音は「われ」。
古来より日本の高貴な身分の者は、謙遜した表現はしない。
この字を当てたのは、中国風の謙遜した書き方を真似てのこと。
中国人は卑下した表現を多用するが、謙遜の気持ちなどない虚言(そらごと)である。

「妣」は、「はは」と読みイザナミのこと。
イザナミ亡き後に現れた十四柱は、黄泉の国から帰ったイザナギの御禊で生まれた。
それなのにイザナミの子とする理由は、イザナミの穢れが原因だからである。
スサノヲは悪臭の名残が消えない鼻から現れたので、特に母に近い悪神なのである。

根之堅州国
「根」は、地中の深い所。草木の根も地中にある。
「根の国」を「出雲とかスサノヲが追いやられた所」という説は、例の中国発想。
「堅州国」は「片隅の国」という意味だが、横の広がりの東西南北ではない。
縦つまり上下の片隅であって、一番底の方である。
これは黄泉の国を意味する。

「罷(まからむ)」は、貴所(とふときところ)から退去(そきさる)ことを云う。

「私は亡き母がいる根の堅州国に行きたいと思うので泣いているのです」
と答えた。

ここに伊邪那岐の大神大(いたく)怒(いからし)て
「然(しからば)汝(みまし)この国には不可住(なすみぞ)」とのりたまひて、
すなはち神夜良比(かむやらひ)に夜良比(やらひ)賜(たまひ)き。

「この国」は、管理を命じられた「海原」

「神」は、神代の世界のことにつける言葉で、
神議々(かむはかりにはかり)神問々(かむとはしにとはし)のように、
下に用語(うごきことば)が繰り返される

「夜良比」は、「逐」で「追放」の意味

これを聞いたイザナギの大神はひどく怒って
「それならばお前はこの国にいてはならぬ」と云い、
直ちにスサノヲを追放してしまわれた。

故(かれ)その伊邪那岐の大神は、淡海(あふみ)の多賀(たが)に坐(ま)すなり。

「多賀」は、近江の国犬上の郡

日本書紀に淡路島の幽宮、天の日之少宮(ひのわかみや)の記述があるが、
身体は天上界(高天原)に登って、魂が多賀や淡路に鎮まっているということだ。

日本民族の「父」の最期を語っているにしては、随分あっさりとしています。
彼のために泣いた者や埋葬した者の記述が無いのはこれまでの流れから考えれば不自然です。
スサノヲ追放がイザナギ最後の仕事となったのですが、「それゆえに誰にも看取られない最期になった」とも受け取れます。宣長はこの点には触れていません。

・・・つづく

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