古事記おじさんの『21世紀の視点で古事記を読む』【85】

―「神話部分」を読む ― 大国主神 ⑨ 根の堅州國 – 4 –

於是其妻須勢理毘賣者。持喪具而哭來。
(ここに そのみめ スセリ姫は、はぶりつものを 持ちて 泣きつつ 来まし。)

スセリ姫は、葬儀の品を携えて泣きながら(野原に)来た。

其父大神者。思死訖。出立其野。
(その父の 大神は、すでに みうせぬと 思ほして、そのぬに いで立たせば。)

スサノヲも(オホナムヂが)すでに死んだと思い野原に来ると、

出立其野(そのぬに いでたたせば)=(耐えられると思って)知力を試したのに、(火が消えても戻ってこないので死んだのであろうと残念に思い)最後の姿を見届けようとして草原に行った。

爾持其矢以奉之時。率入家而。喚入八田間大室而。
(すなはち (オホナムヂが)かの矢を 持ちて (スサノヲに)奉る時に、家に いて入りて、やたまの おおむろやに 呼び入れて、)

(オホナムヂが)鏑矢を差し出した。そこで(スサノヲは)大きな自室に(オホナムヂを)招き入れ、

死んだと思っていたのに生還したのだから驚いて経過を聞いて当然なのだが、(スサノヲは敢えて)感情を秘めた冷静な表情で矢を受け取り、自分の家に連れて入った。

八田間(やたま)=広く大きい。「八」は多い、「田」は意味不明、「間」は柱と柱の間。

令取其頭之。故爾見其頭者。呉公多在。
(その みかしらの しらみを 取らせ給ひき。かれ その みかしらを 見れば、ムカデ 多かり。)

頭の虱を取るよう命じた。(オホナムヂが)頭を見ると、(髪に)たくさんのムカデがとりついていた。

黄泉の段のウジが湧いていた表現を思い出し、根の国の状況を推測せよ。

於是其妻以牟久木實興赤土授其夫故。
(ここに そのみめ ムクの 木の実と はにとを そのひこぢに 授け給へば、)

すると妻(スセリ姫)がムクの実と赤土を夫(オホナムヂ)に手渡したので、

赤土(はに)=埴(はに)で、粘土。粘土の多くが赤。黄色もあるので黄土とも書く。

咋破其木實。赤土唾出者。
(その 木(こ)の実を 食ひ破り、はにを ふふみて つばき いだし給へば、)

その実を噛み砕き赤土を口に含んで吐き出すと、

其大神以爲咋破呉公唾出而。於心思而寝。
(その大神 ムカデを 食い破りて つばき いだすと 思ほして、み心に はしく 思ほして み寝ましき。)

スサノヲはムカデを噛み砕いてつばを吐きだしたと思い、「この男、見所があるいい奴だ」と思いながら寝てしまった。

ムクの実をかみ砕いて口に含んだ赤土と混ざった状態が、ムカデをかみ砕いたものに似ているのであろう。

思愛(はしく思ほして)=「愛」は波斯久(はしく)で、「めでうつくしむ」意味。

これを現代の字にすれば「愛で慈しむ」となります。

・・・つづく

※注:
青字 … 本居宣長『古事記伝』より
赤字 … 古事記おじさんの見解です。

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