勝者となった高天原勢力にとって、その後の他地域での展開には、『出雲勢力とのあいだに流血は無く、国譲りは禅譲であった』との形が必要だったのではないでしょうか。
そのために、『血塗られた経緯を、分別に満ちた物語にしなければならなかった』。
国譲りの代償に大国主神が求めたとされる杵築(きづき)の大社(おおやしろ)は何度か倒壊し、建て直されたと伝えられています。
その度に再建を強いられれば、古代出雲王国地方が中央権力に対抗するエネルギーを蓄積することは不可能であったはずです。
時の中央権力にとって「古代出雲王国」とは、こうまでして押さえつけなければならない程の脅威を感じさせる存在だったのではないでしょうか。
※2011/10/06~2011/10/27「古事記おじさんの謎解き旅ブログ」に7回に渡り掲載したものをまとめました。
■「国譲り」とは何だったのか【其の一】
https://www.kojinazo.net/?page_id=1355
■「国譲り」とは何だったのか【其の二】
https://www.kojinazo.net/?page_id=1357
■「国譲り」とは何だったのか【其の三】
https://www.kojinazo.net/?page_id=1359