ところで、第二の殺害現場ですが、鳥取県日南町上石見(かみいわみ)の大石見(おおいわみ)神社に、手間の赤猪岩神社とよく似たお話が伝えられているのです。「大穴牟遅(おほなむぢ)が八上(やがみ)姫命を連れて逃げてきて隠れ棲んだ」のだそうです。
この大石見(おおいわみ)神社の辺りが第二の殺害現場であったのか?
それとも・・・、そこが大屋毘古(おほやびこ)の棲む木国(きのくに)だったのか?
古事記の解説書を読みますと、木国(きのくに)は紀伊国(きいのくに)、つまり和歌山県と解釈しています。解説書のように解釈すると、内臓破裂で瀕死の状態から助かったばかりの若者が、鳥取県西部の岡山県との県境から何百キロも離れた和歌山県まで行ったことになります。
これはちょっと無理でしょう。
いや、神様だからあるいは神話だからできるということなのでしょうか?
この部分は『 謎 』なのですが、これについてはまた後で話します。
これまでお話ししましたように、私が住む米子のすぐ近くに古事記の舞台がある。この舞台は古事記の途中部分です。
途中からでは分かりにくいので、古事記の始めからの展開に沿って、山陰の舞台をご紹介しましょう。
・・・つづく