多くの書物に、スサノヲ誕生の地は『平田町の宇美(うみ)神社』と書かれています。
あるきっかけからそこへ行ってみようと思い立ったのが、平成17年の秋です。
現地に行きましたが、どう見てもスサノヲが生まれた場所とは考えられません。
そこで宮司さんに尋ねましたところ、「あなたの捜している宇美神社はここではない。島根半島の日本海側にある、塩津の石上神社の旧名が宇美神社です」との返事でした。
塩津に行って知ったのですが、島根半島の内海側と日本海側は、全くの別世界です。
半島の南北を結ぶトンネルを越えた時、そこに広がる光景から「スサノヲが生まれるのに相応しい場所だ」との感じを受けました。
そこから石上神社までの十数分「期待を裏切らない神社であって欲しい」と念じつつ車を走らせました。
塩津港を望む小高い崖下に、白壁作りの小さな神社がありました。
その神社を見た瞬間「ここだ!」と納得しました。
神社のすぐ近くに氏子総代の方が住んでいると聞き、訪ねました。
「ここでスサノヲが生まれたと聞いてきたのですが・・・」
恐る恐る尋ねた私に返ってきたのは
「うん、ここで生まれた」
と、つい最近見たような返事です。
「生まれたあとのことは分かりますか?」
「山の向こうの、唐川(からかわ)で育った」
この会話から『スサノヲの足跡探し』が始まったのです。
スサノヲを追いかければ、当然の流れとして大国主ともつながります。
山陰は言うまでもなく山陽・九州をも訪ねることとなり、5年間で8000kmを走り回りました。
それぞれの地で聞いた話と由緒・縁起、そして古事記・日本書紀・出雲風土記その他の書物を総合して出てきた私の結論が『山陰には、大和朝廷の前に近畿以西を統合した王国があった』です。
これを証明するものの一つが『古事記』なのですが、その展開をたどって行きますと、イザナミが亡くなったところから山陰地方が舞台として登場します。
その後大国主の国譲りまでの間に、舞台は鳥取市から出雲市までの170kmに及ぶ地域へと広がります。その全てを紹介するのが『山陰の古事記謎解き旅ガイド』なのです。
古事記の謎解きは、古代出雲王国の謎解きでもあるのです。
そんなこんなで、今日も走り回っているおじさんなのでした。
おしまい
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